東京地方裁判所 平成9年(ワ)13017号 判決 1999年3月01日
原告(反訴被告)
サンダー・コーエン
右訴訟代理人弁護士
奥寺政衛
被告(反訴原告)
フィリップ・クワーク
右訴訟代理人弁護士
後藤出
同
山下淳
同
神山達彦
主文
一 原告(反訴被告)の請求をいずれも棄却する。
二 原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、一三〇万円及びこれに対する平成九年一〇月一〇日以降支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 被告(反訴原告)のその余の請求を棄却する。
四 訴訟費用は、本訴反訴を通じて原告(反訴被告)の負担とする。
事実及び理由
第一請求
一 本訴
1 被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、六六〇万七五七七円及びこれに対する平成九年六月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、平成九年七月から同年一〇月まで毎月二五日限り七九万一六六七円及びこれに対する各支払日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 被告(反訴原告)は、原告(反訴被告)に対し、平成九年一一月二五日限り四七万四九九六円及びこれに対する同月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴
原告(反訴被告)は、被告(反訴原告)に対し、九四四万八〇〇〇円及びこれに対する平成九年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、外国弁護士による法律事務の取扱いに関する特別措置法による外国法事務弁護士である被告(反訴原告、以下「被告」という)との労働契約に基づき被告の事務所で勤務弁護士として働いていた原告(反訴被告、以下「原告」という)が、被告に解雇されたが解雇は無効であるとして、本訴により未払給与及び慰謝料の支払を求めたのに対し、被告は、原告を解雇した事実はなく自主的に退職したものであるとして、反訴により、原告が被告に対してした仮差押執行及び本件本訴事件の訴え提起につき、不法行為に基づく損害賠償請求を求めた事案である。
一 争いのない事実
1 被告は、ロンドンに本拠を有し、香港、パリ及びニューヨーク等に事務所を置き、共同経営者弁護士(パートナー)と勤務弁護士(補助弁護士、アソシエイト)の合計約三〇〇人が所属するワイルド・サプト法律事務所(以下「本国事務所」という)の経営者弁護士であるが、本国事務所の東京における代表者として、自らの外国法事務弁護士資格に基づき、ワイルド・サプト外国法事務弁護士事務所(以下「被告事務所」という)の名称の下に法律事務に従事している。
2 原告は、平成八年九月二七日、被告に、法律業務の補助弁護士として採用され、被告との間で、期間は平成八年一一月一一日から同九年一一月一〇日までの一年間、雇用期間の開始後三か月間は試用期間とし、年間給与九五〇万円との内容の雇用契約を締結した(以下「本件雇用契約」という)。
3 被告の原告に対する給与の支払は、毎月二〇日締め同月二五日払いであるが、被告は、原告が、平成九年二月一〇日以降、給与支給額を年額六五〇万円に減額することに同意したとして、減額後の年間給与額を基準とした月割額により、同年二月分及び三月分の給与の支払をした。
4 被告は、原告が、平成九年二月二七日、任意に退職したとして、同年三月二七日以降本件雇用契約の終期である一一月一〇日までの給与を原告に支払っていない。
5 原告は、平成九年二月二八日以降、被告の事務所に出勤していない。
6 原告は、本件本訴事件の訴え提起後、平成九年一〇月九日、本件雇用契約に基づく未払給与債権を被保全権利とする被告の預金債権に対する仮差押命令(当庁平成九年(ヨ)第二一一九八号。以下「別件仮差押」という)を得て、同日ころ執行をした。
二 争点
1 本訴
(一) 原告は、被告との間で、平成九年二月一〇日以降、給与を年間六五〇万円に減額して支給を受けることに同意したか。
(二) 被告は、平成九年二月二七日、原告に対し、解雇の意思表示をしたか。
(三) 原告の被告に対する慰謝料請求権の存否
2 反訴
原告が本件本訴事件の訴え提起及び別件仮差押執行を行ったことにより、被告に対し不法行為に基づく損害賠償義務を負うか。
三 争点に関する当事者双方の主張
1 給与の減額支給についての同意の有無について
(一) 原告の主張
原告は、被告との間で、平成九年二月一〇日以降、原告の給与が年間六五〇万円に減額されることについて同意した事実はないから、被告が減額後の年間給与額六五〇万円を基準として原告に対し支払った給与の不足分として、同年二月分九万〇九〇九円、三月分一四万一六六七円の未払給与の支払を求める。
(二) 被告の主張
被告事務所の業務内容は、国際的な金融取引に関する法的サービスの提供を行うものであり、このような被告事務所の業務を補助するに当たっては、契約法、会社法、金融関係法等の専門知識や法的能力を備え、日本人弁護士その他の各国固有の法律専門家の意見を的確に理解し、これを顧客に教示する必要があり、また、多くのビジネスマンや各国弁護士と協調して作業することが求められるが、原告の勤務開始後三か月の試用期間中、原告は、被告事務所における法律補助業務の遂行について要求される専門知識や法的能力、日本人弁護士ら自己の専門外の法律に関する実務家との円満な協調及びその他の関係者との共同作業のいずれの点についても、被告の期待する成果を上げられず、被告の指導と警告にもかかわらず、業務適格性は向上しなかった。そこで、被告は、試用期間満了前の平成九年一月下旬には、本件雇用契約の解除を検討したが、原告の業務が改善されることを期待して、試用期間を三か月延長し、その間、原告の給与支払を年三〇〇万円の割合により留保して、試用期間経過後に原告が本採用となった場合に留保分を支払うこととし、原告はこれに同意した。
2 被告の原告に対する解雇の意思表示の有無について
(一) 原告の主張
被告は、平成九年二月二七日、本国事務所の経営者弁護士で、被告事務所に勤務するアメリカの弁護士資格を有するウィリアム・ブルノギ(以下「ブルノギ」という)を使者として、原告に対し、原告を解雇する旨の意思表示をし、その後、解雇予告手当として同年三月二六日までの給与を支払う旨手紙により原告に通知したが、右解雇は、解雇事由ないのにされたもので無効である。
よって、原告は、被告に対し、平成九年四月分から同年一一月一〇日までの給与として、同年四月から一〇月まで毎月二五日限り各七九万一六六七円及び同年一一月二五日限り四七万四九九六円の支払をそれぞれ求める。
(二) 被告の主張
原告と被告との試用期間延長の合意後も、原告の勤務状況は不十分な状態が続いたため、被告は、ブルノギに依頼して、原告の今後の処遇について話合いを行わせることとした。
ブルノギは、平成九年二月二七日、原告と被告事務所付近のレストランで話合いをし(以下「本件話合い」という)、ブルノギが原告に対し、原告の被告事務所における勤務に対する評価が低いこと及び原告がこのまま被告事務所に勤務しても、本国事務所の経営者弁護士となる可能性は極めて低いことを伝えた。これに対し、原告は、自ら被告事務所を退職する旨の意思表示をし、被告が一か月分の給与を支払うこと、次の職が見つかるまで弁護士健康保険組合扱いの健康保険について被告が保険料を負担すること、被告が個人的に原告のアパートの保証人となっているのを継続することを求め、ブルノギはこれらの条件を承諾した。また、原告は、その後、ブルノギに対し、原告が退職した事実を第三者に明らかにしないよう申し入れ、被告はこれを了承した。
3 原告の被告に対する慰謝料請求権の存否
(一) 原告の主張
被告は、平成九年二月以降、合理的な理由なしに、原告の給与を減額して支給したり、退職を強要したあげく、原告が自主退職したと称し原告に対する給与の支払を中止した不法行為に基づき、原告について、外国法律事務所を短期間で退職せざるを得なかった問題のある外国人弁護士としての風評が立つにいたらせ、原告は、事実上日本国内での外国法務関係の専門的な業務につくことが困難となる精神的損害を被った。
よって、原告は被告に対し、慰謝料四〇〇万円の支払を求める。
(二) 被告の主張
被告は原告の同意に基づいて同人の給与を減額して支給したものであり、また、被告が原告を解雇した事実はないから、被告は損害賠償義務を負わない。
4 被告の原告に対する損害賠償請求権の存否
(一) 被告の主張
原告は、平成九年二月二七日、自主的に退職する旨の意思表示をしたにもかかわらず、同日付けで被告に解雇されたとする虚偽の主張に基づき本件本訴事件及び別件仮差押を申し立て、各事件において虚偽の事実を記載した陳述書を証拠として提出し、本件訴訟の原告本人尋問においても虚偽の供述をし、また、被保全権利が存在しない違法な別件仮差押執行を行った。
被告は、原告の右各行為により、<1>別件仮差押について申し立てた異議申立事件(当庁平成一〇年(モ)第一三五七六号)の弁護士費用一五七万九五〇〇円、<2>本件本訴事件の弁護士費用二三九万八五〇〇円及び<3>本件反訴請求事件の弁護士費用一四七万円の各弁護士費用合計五四四万八〇〇〇円の損害を被った。さらに、被告は、被告の取引銀行の預金債権に対し別件仮差押の執行を受けたことにより、同銀行の被告に対する信用が棄損され、かつ、被告が当時購入を予定していたマンションの購入を断念せざるを得なくなって精神的損害を被り、また、原告が、本件訴訟において被告の名誉を棄損し、被告を侮辱する虚偽の事実主張及び供述を行ったことにより、被告及び被告事務所の名誉が棄損されて精神的損害を被ったが、これらを慰藉するためには四〇〇万円が相当である。
よって、被告は、原告に対し、不法行為に基づく損害賠償九四四万八〇〇〇円及びこれに対する本件本訴事件の訴え提起の日又は別件仮差押命令の執行の日のうち後れる日の翌日である平成九年一〇月一〇日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
(二) 原告の主張
原告は、平成九年二月二七日、被告から不当に解雇されたものであり、原告が退職の意思表示をしたことはない。
第三争点に対する判断
一 証拠によれば、以下の各事実が認められる。
1 原告は、アメリカ合衆国ニューヨーク州の弁護士資格を有し、平成六年から被告と雇用契約を締結する直前まで、日本人弁護士の事務所に勤務していた(原告本人)。
2 原告と被告との雇用契約締結については、雇用契約書は作成されず、被告から原告に対する手紙に、雇用の条件を記載していた。右の手紙には、前記争いのない事実欄記載の雇用条件のほか、解約通知期間は一か月とすることも記載されていた(書証略)。
3 被告は、原告の勤務開始後三か月の試用期間中の被告事務所における法律補助業務の遂行状況が不十分であると認識していた(証拠略)。
4 被告は、平成九年二月一〇日、被告事務所の経理担当職員に対し、原告が給与の減額支給に同意したとする連絡及び原告の給与の減額分は後日ボーナスとして支払う場合のため貯めておくよう指示する内容の電子メールを送った(書証略)。
5 被告が原告に対して平成九年二月二五日に支払った二月分の給与は、同月一〇日以降の分につき、給与年額六五〇万円を基準として計算されており、前月分より減額した金額の支払がされたが(書証略)、原告が支払後ただちに支払給与額につき異議を述べたことはなかった。
6 被告は、平成九年二月二四日、原告が新たに入居する賃貸マンションの管理会社から原告の賃貸借契約書及び確約書の送付を受け、契約書の連帯保証人欄及び確約書に署名し、これを同月二八日に管理会社に送付した(書証略)。
7 ブルノギは、原告と被告事務所外で話合いをすることとし、平成九年二月二七日の夕方、原告を誘って、ロイヤルパークホテルのレストラン・バーで本件話合いをした(証拠略)。
8 原告は、本件話合いの翌二月二八日は被告事務所に出勤せず、平成九年三月一日から九日までは、一月半ばころに取得を決めていた有給休暇でニュージーランドへ旅行に行った(証拠略)。
原告は、休暇が明けた後も被告事務所に出勤せず、平成九年三月一八日ころ被告事務所に電話をかけてブルノギと話をした(証拠略)。
9 原告に対して本件雇用契約締結前にされた在留期間更新許可による原告の在留期限は平成九年四月一七日までであったが(書証略)、同年三月一四日付けで在留期間は平成一〇年四月一七日まで更新された(書証略)。
10 ブルノギは、同年三月二一日付けで、原告と被告間の本件雇用契約が終了するにあたっての条件を確認するとの目的で、原告に対する三月分給与の支払や原告の健康保険及び事務所の物品の返還等について記載した書面を送付した(書証略)。ブルノギは、右書面において、原告に対し、「あなたは試用期間中であったが、それにもかかわらず、私たちは終了通知の代わりにあなたに一か月分の給与支払を受ける権利があるとの見解を採用します」と記載した(証拠略)。
11 原告は、同月二四日、ブルノギに電話をし、被告が支払うとしている金額には不満があると告げた上、同年四月一三日、ブルノギの送付した書面の内容には同意できないという内容の書面を被告に送付した(証拠略)。
12 被告事務所に勤務する弁護士が自ら退職する場合、過去に、被告が、とくに書面の作成を求めたことはない(証拠略)。
13 原告は、平成九年四月一三日に原告の雇用について三菱商事と接触し、その後、同年五月に三菱商事の法務部に就職し、弁護士として勤務している(証拠略)。
14 別件仮差押については、被告が申し立てた異議申立事件において、平成一〇年六月五日、別件仮差押命令を取り消し原告の仮差押命令の申立てを却下する旨の決定がされた(書証略)。
二 以上認定した事実及び前記争いのない事実により判断する。
1 本訴
(一) 給与減額支給についての同意の存否
前記一3ないし4認定のとおり、被告は、原告の勤務開始後三か月の試用期間中、原告の勤務状況が不十分であると認識していたこと、被告の原告に対する給与の減額支給の開始が試用期間満了日の平成九年二月一〇日以降分から行われていること、原告は、平成九年二月分の給与の支給を受けた同月二五日ころ、ただちに給与額についての異議を述べていないこと及び被告は平成九年二月一〇日、被告事務所の経理担当職員に対し、原告が給与の減額支給に同意したことを連絡すると同時に減額分を後にボーナスで支払うことができるようにしておくように指示しており、原告にとって利益となる扱いも電子メールで連絡していること等を総合すれば、被告は、平成九年二月一〇日の原告の試用期間満了時に、原告の勤務状況は不十分であるが、本件雇用契約を解除する措置はとらずに試用期間を延長し、これに伴い原告の給与も減額して支給することとしたが、原告は右試用期間の延長及び給与の減額支給について事前に同意していたことから、二月分の減額された給与の支給についても異議を述べなかったものと認められる。
これに対し、原告は、被告が原告の同意なしに、原告の給与を一方的に減額したと主張し、これに沿う原告本人尋問及び原告の陳述書も存在するが、これらの証拠は前記の各認定事実に照らして採用することができず、他に右認定を覆す証拠はない。
したがって、平成九年二月分及び三月分の給与について、支給額が不足しているとする原告の未払給与請求は理由がない。
(二) 被告の原告に対する解雇の意思表示の有無
前記一6ないし13認定のとおり、平成九年二月二七日、ブルノギと原告がホテルのレストラン・バーで二人だけで本件話合いを行った翌日以降、原告は、被告事務所に出勤せず、長期の休暇で海外に旅行し、休暇が明けた後も被告事務所に出勤しなかったこと、原告は、ブルノギとの本件話合いの後、ただちに本件雇用契約の当事者である被告に対し異議を述べたり、交渉したような事実も認められないこと、また、ブルノギは、同年三月二一日付けで、原告に対する三月分給与の支払や原告の健康保険及び事務所の物品の返還等について記載した書面を送付したところ、原告は、同月二四日、ブルノギに電話をし、被告が支払うとした金額には不満があると告げた上、被告に対し平成九年四月一三日付けの手紙(書証略)を出したが、その内容は、原告に対する支払額につきブルノギが手紙で提示した条件には同意しないことを主眼とし、被告から解雇されたとか、不当解雇若しくは解雇無効の主張又は被告事務所への復職の希望等については一切触れられていないこと、さらに同じ四月一三日に、原告は再就職先の三菱商事と接触して就職に関し交渉を行ったことの各事実が認められ、これらの事実を総合すれば、原告は本件話合い時に、ブルノギに対し、自ら退職するとの意思表示をし、これに伴い翌日以降被告事務所に出勤しなくなり、その後も雇用契約終了に伴う金銭条件について被告と交渉を行っていたものと認められる。
これに対し、原告は、原告が任意退職したとすれば、後日の紛争を避けるため、退職した旨の書面が作成されてしかるべきであるのに、そのような書面が作成されていないこと、被告が原告を解雇したのは、本国事務所から原告よりも給与の低い弁護士が派遣されることとなったためであること、さらに、平成九年二月二七日の時点では、約五〇日後の四月一七日には原告の在留期間が切れる状態で、かつ、原告が別の賃貸マンションへの転居により多額の出費をした時期であり、そのような段階で再就職先も決めずに自主退職することはあり得ないことを挙げて、原告は自主的に退職したのではなく、被告に解雇されたものであると主張し、これに沿う原告本人の供述及び陳述書も存在する。
しかし、前記認定のとおり、原告と被告間の雇用契約締結の際も双方が署名した雇用契約書は作成されておらず、過去に被告事務所の勤務弁護士が任意退職した際にも書面を作成する扱いとはなっていなかったこと、また、前記(一)認定のとおり、原告と被告は、平成九年二月一〇日、原告の試用期間を延長し、その間給与を減額して支給することに合意した事実が認められ、被告において、原告の業務遂行状況が不十分であることについて当面の対応策を講じた直後であったこと、他方、被告は、二月二八日、新たに原告のために原告が転居する賃貸マンションの保証人になったこと等からすれば、平成九年二月二七日の時点で、被告にとって原告を解雇することに合理性はなかったものと認められ、前記原告の主張に沿う証拠は採用することができず、本件記録上、被告が原告に対し解雇の意思表示をした事実を認めることはできない。なお、被告事務所に本国事務所から原告より給与の安い弁護士が派遣されることになったとの原告の主張については客観的な証拠は存在せず、そのような事実を認めることはできない。
また、原告は、ブルノギが原告に宛てた手紙(書証略)の「試用期間中にもかかわらず雇用契約終了通知のかわりに一か月分の給与の支払をする」との記載内容について、これは、雇用契約の終了通知を行う使用者が、予告期間をおく代わりに、一か月分の予告手当を支払うという趣旨であるから、右記載により被告が原告を解雇した事実が裏付けられるとする。しかし、前記認定のとおり、ブルノギは、雇用契約終了についての条件確認のために(書証略)を作成したものと認められ、解雇通知の代わりに一か月分を支払うとの記載については、延長後の試用期間中の原告には本来は予告期間に関する規定は適用されないが、これを適用することとし、さらに自主退職という原告から雇用契約の終了を通知する場合ではあるが、一か月の就労を免除するとともに、その間の一か月分の給与を支払う恩情的な取扱いをすることを明らかにしたものであるとしている(証拠略)。すなわち、(書証略)を作成したブルノギとしては、雇用契約の終了通知をした原告に対し、一か月の勤務を免除するが、その間も給与は受給できるとした趣旨であるとしており、(書証略)の内容をそのように理解することが文言上矛盾するとはいえないから、(書証略)の記載内容により、原告が自主的に退職したとの前記認定事実が覆されることはないというべきである。
(三) そうすると、被告から解雇されたことを前提とする原告の未払給与及び精神的損害に対する慰謝料の請求は、その余の点について判断するまでもなく、いずれも理由がない。
2 反訴について
(一) 被告は、原告のした本件本訴事件の訴え提起が不法行為に該当すると主張する。前記のとおり、原告の本件本訴請求には理由がないと判断されるが、本件記録上、本件本訴請求が事実的、法律的根拠を欠く、理由のない不当訴訟であると認めることはできず、原告が、本件本訴事件の訴えを提起したことが裁判制度の趣旨目的に照らして著しく相当性を欠くとは認められない。したがって、原告が本件本訴事件の訴えを提起したことに違法性はないといえ、本件本訴事件についての被告の弁護士費用を原告の不法行為に基づく損害と認めることはできない。
(二) 本件本訴事件並びに別件仮差押事件及び同異議事件において、原告が、被告の認識と異なる事実主張及び供述をしたことにより被告の受けた精神的損害については、本件本訴請求が棄却され、別件仮差押命令が異議手続により取り消されることによって回復される程度のものと認められるから、この点についての被告の請求は理由がない。
(三) 別件仮差押執行に基づく被告の損害について検討するに、右事件の被保全権利である原告の被告に対する未払給与債権は、前記のとおり存在しないと判断されるから、別件仮差押命令は、被保全権利を欠く違法なものというべきであり、原告は違法な別件仮差押執行を行ったことにつき過失があるものと推認される。そして、被告は別件仮差押の執行を受けたことにより、取引銀行に対する信用を棄損され、精神的苦痛を被ったことが推認され、本件に現れた一切の事情を斟酌すると、右精神的損害を慰謝するには、三〇万円が相当というべきである(なお、本件記録上、別件仮差押の執行により、被告が購入予定のマンションの購入を断念した事実を認めるに足りる証拠はない)。
また、被告が別件仮差押命令に対する異議申立事件の申立て及び本件反訴事件の訴え提起並びに各手続の追行を弁護士に委任したことは記録上明らかであり、事案の内容、審理の経過その他諸般の事情を考慮すると、両事件についての弁護士費用としては、それぞれ五〇万円が原告の違法な別件仮差押の執行と相当因果関係に立つ損害と認められる。
三 以上のとおりであるから、原告の本訴請求はいずれも理由がなく、被告の反訴請求は主文掲記の限度で理由があるが、仮執行宣言については必要性がないからこれを付さない。
(裁判官 矢尾和子)